2012年5月24日 星期四

此刻良朋共敘

去年歲末, 我們登上天際, 俯瞰九龍兩岸, 遠眺群山。摩天大樓的深處, 是空闊的大堂, 玻璃窗幕前, 吃甜點, 喝咖啡, 真想時間就此停住...... 相隔一個月的中午, 室外是柔柔的日光高掛天上, 室內眼前是花樣年華的場景, 一坐便是三個小時。走過加路連山道的樹林, 車子繞著大坑半山團團轉, 再穿過海底, 那是一條時光隧道, 把美景、佳話與眼下煩擾劃清界限。


幾個月過去了, 春去夏來, 本來是濕透悶熱的街道, 不知何故, 刮起一陣涼風, 黃埔灣岸, 最近工程如火如荼, 無阻我們重敘。刺身端上來, 扇貝鮮甜, 亮白的蝦爽口多汁, 魚片都是肥美甘香。你選對了, 這是一家我喜愛的日本餐廳。 十年人事幾番新, 這家店子, 經歷滄桑, 依然屹立人前。跟時光隧道一樣, 如今管他外面都架起了工程木板, 裡面依然故我, 自成一家。 牡丹綠葉, 客人輕聲細語, 沒有大聲么喝。整個地方, 彷彿只有我們對談。記得玄關擺放一群紙鳶, 為清一色的平淡添一分明艷。


此刻良朋共敘, 何其短暫。天公造美, 車子在公路疾馳, 一路是藍天綠水, 輕風舞得醉人。身在石屎叢林, 心在塵世之外。此刻的寧靜慡意,怎留得住?


 

2012年5月15日 星期二

沖繩復歸40週年

1972年5月15日, 沖繩縣復歸日本, 今天剛好40週年

沖繩的命運, 猶如私生子一樣, 誰是他的主人? 不能作主, 不能選擇, 皮球拋來拋去, 自己的想法, 自己的聲音, 別人從來聽不入耳, 只有給人利用的份兒, 成為政治角力的籌碼, 這是沖繩人的宿命。這個島嶼, 是周邊國家磨拳擦掌蠢蠢欲動的焦點: 美國不肯放手、中國人想加以控制, 甚至連崛起中的俄羅斯也想分一杯羮。

主權爭議, 資源爭奪, 似乎日趨激烈, 中國步步進逼日本海域, 俄羅斯和韓國也不甘示弱, 北方四島復歸之日遙遙無期; 竹島還是獨島? 日本海還是東海? 鄰國天天都擺起高姿態。世代更替, 時光飛逝, 日本人爭取應有的自主權, 依舊如故, 只聞樓梯響。

沖繩縣出身的中島美嘉, 有一首歌, 叫做「Will」 ,際此紀念日, 聽起來特別有感觸:

「あの頃」って
僕たちは
夜の空を信じていた
同じ向きの
望遠鏡で 小さな星 探した
いつもそばに
誰かいて
孤独の影 紛らせた
停電した
夏の終わりに
手さぐりして
キスをしたね

あれから
僕はいくつの
夢を見て来たのだろう
瞳を閉じて見る夢よりも
瞳を開きながら
WOW WOW
あれから
僕はいくつの
自由を生きてきただろう
運命の支配じゃなくて
決めてたのは
僕の「WILL」

煌めいてる
星たちは
誰かが もう見つけてる
光のない 闇のどこかに
まだ見えない 未来がある
記憶が星座のように
輝きながら 繋がる
バラバラに見えていたけど
今ならわかるよ WOW WOW
記憶が星座のように
ひとつになって教える
偶然のしわざじゃなくて
選んだのは
僕の「WILL」

過ぎてく過去は
すべて
自分の通り道
この夜の空に
変わらない永遠が
見守ってる WOW WOW

橋本龍太郎已故前總理大臣十多年前明言, 普天間基地將於五、七年內遷出。言猶在耳, 還以為一槌定音, 原來沖繩人蒙在鼓裡而不自知, 任人擺佈, 任人愚弄。發聲有用嗎? 總比沉默好吧。香港人, 連發聲也給人抹黑, 爭取民主二十多年, 徒勞無功, 更遭保守派標籤為「反中亂港」。

想起沖繩島, 當然想到香港人。香港人的命運, 同樣是任人擺佈。祖先都是難民, 生下來沒有國籍, 一九九七年, 英國人離棄我們, 還跟中國人說, 香港人的生活方式可以五十年不變。言猶在耳, 十五年過去了, 香港跟著北京喉舌, 亦步亦趨,  自我審查, 畏首畏尾, 結果甚麼也做不成, 水源、電力、糧食、零售、以至金融及旅遊業等強勢產業, 都一面倒靠攏中國大陸。說粵語, 寫正體字, 給人標籤為「低等文化」。但香港人不如沖繩人, 沖繩人敢怒敢言, 香港人連放個屁也要中央批准。

沖繩的過去, 有光輝, 有悲壯, 有遺憾, 也有失落, 但他們很努力保留自己的風格, 告訴別人, 沖繩雖然都是日本的一部分, 但是許多日本人只知道陽光與海灘, 有獨特的音樂文化, 有美食,  其他方面呢, 似乎不太清楚了。 香港一開始便破壞自己的城牆, 自己人瞧不起自己人, 更引狼入室, 騎劫香港的資源, 掠奪香港的財產, 操控香港的未來。你說, 這是毫無根據的指控, 是揑造的狂言。問答無用, 看看鬧市的街頭, 街上的廣告, 行人的對話, 道路的擁擠, 商店的單一, 物價和租金的飛漲, 中國陋習的盛行, 擅闖火車路軌大小便, 月台生育, 迫爆急症室的情景, 是上世紀香港七十年代以來前所未聞。此情此景, 不堪入目之象, 你會知道, 以上指控和狂言, 並非揑造, 更非毫無根據。